第1章 はじまりの一歩
学生時代の私は、これといった夢を持っていなかった。
「大きくなったら何になりたい?」と聞かれても、答えに詰まることが多かった。周囲の友達がそれぞれの夢を語る中で、私は自分だけが取り残されているように感じていた。
そんな私に、母がある日ぽつりとこう言った。
「楓は優しいから、介護とか向いてるんじゃない?」
その言葉は、母にとっては何気ない一言だったのかもしれない。けれど私にとっては、道しるべのように思えた。これまで「優しいね」と言われることは多かった。その性格が役立つのなら、挑戦してみてもいいのかもしれない。
こうして私は介護の世界に足を踏み入れることを決めた。
十八歳、初めての職場。
玄関をくぐった瞬間、鼻を突く消毒液の匂いがした。廊下には車椅子の軋む音が響き、食堂からは煮物の甘い香りが漂っていた。緊張で足は重かったが、不思議と胸は高鳴っていた。
そんな時、初めて接した利用者の女性が笑顔でこう声をかけてくれた。
「新人さん??若いわね〜。ここの人に負けないで、頑張るのよ」
その一言に、心がじんわり温かくなった。初めて会った私に、励ましの言葉をくれる人がいる。それは、先輩から受けた冷たい態度とは対照的で、涙が出そうになるほど嬉しかった。
――負けないで頑張る。
その言葉は、右も左も分からない新人の私を、そっと支えてくれる支柱になった。
第2章 壁にぶつかる日々
新人として働き始めた頃、私は右も左も分からない状態だった。
「分からないことがあったら聞いてね」
入職初日にそう優しく言ってくれた先輩がいた。心の中で「この人がいるなら安心できる」と思ったのを覚えている。
だが、現実は甘くなかった。
ある日、業務の流れで迷ってしまい、その先輩に質問をした。すると返ってきたのは、思っていた言葉とはまるで違った。
「は?……自分で考えれば?」
表情には露骨な苛立ちが浮かび、冷たい視線が突き刺さった。
その瞬間、体の芯が凍りついた。自分の判断力が乏しいことは自覚していたが、まさかそれをあざ笑うかのような態度を取られるとは思ってもいなかった。
「聞けと言ったのに、聞いたら嫌な顔をされる。じゃあ、どうすればいいの?」
心の中でそう叫びながら、仕事を続けるしかなかった。
日々はさらに厳しかった。
「お前は遅いから」
「ノロマ」
「愚図」
そんな言葉を投げつけられる日々。
慣れない業務、苦手な職員の存在、そして常に漂う緊張感。
出勤のたびに胃が痛み、シフト表を見ただけで心臓が早鐘を打った。
その日の仕事をどう切り抜けるか、ただそれだけで精一杯だった。
家に帰ると、感情のタガが外れたように涙が止まらなかった。
「私ってやっぱりダメ人間なんだろうか」
悔しさと無力感で声を殺して泣いた。
それでも――辞めるという選択肢はなかった。
母の「優しいから介護が向いているんじゃない?」という言葉。
そして、利用者の方々の温かい言葉。
「ありがとう」
「優しいね」
「あなたがいてくれればいいのよ」
その一言一言が、折れかけた心を必死でつなぎ止めてくれた。
罵声よりも、その小さな優しさの方がずっと心に響いた。
私はまだここで頑張れる。
そう信じて、涙を拭いながら翌日のシフトに目を通した。
第3章 辞めなかった。でも、ここにはいられないと思った
介護の仕事を始めて数か月。私は「辞める」という選択を何度も頭に浮かべながら、それでも踏みとどまっていた。
利用者の言葉に救われていたからだ。
入職して間もない頃、ある利用者の方がこう言ってくれた。
「新人さん??若いわね〜。ここの人に負けないで頑張るのよ」
その言葉が胸に刺さった。見透かされたように思った。
――そうだ、負けたくない。
そう自分に言い聞かせて、罵倒に耐え、嫌味を飲み込んで、笑顔を作った。
けれど、職場の空気はどんどん濁っていった。
職員同士でのイザコザは日常茶飯事。
どこかで必ず誰かが誰かの悪口を言っていた。
それを耳にするたびに、胸の奥に黒いもやが広がっていった。
利用者から「優しい!あなた好き」と言われたときも、素直に喜べなかった。
嬉しさよりも先に、横から突き刺さるような視線があったからだ。
「気に食わない」
そう言い放った先輩の顔を、私は今でも忘れられない。
利用者と良い関係を築けば築くほど、それを妬まれ、揶揄され、叱られる。
まるで「優しさ」が罪であるかのようだった。
嫉妬はやがて、あからさまないじめへと変わっていった。
・自分のせいではないミスのなすりつけ。
・陰で「仕事ができない」と不評を流される。
・好いてくれている利用者に対して冷たく接し、あえて不快にさせる。
シフト表を見るたびに、誰と同じ勤務かを確認し、心臓が縮むような思いをした。
その人がいる日、それだけで胃が痛んだ。
夜になると「明日が来なければいいのに」と布団の中でつぶやいた。
朝になれば、吐き気と動悸で体が動かない。
それでも休めば「サボり」と言われる。だから無理をして出勤した。
私は気づいていた。
――このままでは壊れてしまう、と。
それでも「辞めたい」とは言えなかった。
母に心配をかけたくなかったし、何より「ここで諦めたら自分の負けだ」と思っていたからだ。
けれど、心の奥底で小さな声が響いていた。
「辞めないことが強さなの? 本当に、それでいいの?」
その声に気づかないふりをして、私はまたシフト表をめくった。
第4章 環境を変えるために ― 訓練校と病院勤務へ
限界が近いのは分かっていた。
でも「辞める」という言葉を口にするのは怖かった。
心も体もすり減っていたけれど、「耐えることが正しい」と思い込み、気持ちを押し殺していた。
そんな時、母がふと口にした。
「楓、訓練校に通ってみたらどう?」
最初は軽い気持ちだった。アルバイトしかしていなかった頃に母から言われた時も、なんとなく同意して始めた。
けれど、今回の母の一言は違った。
今の環境から抜け出す理由として、そして「介護職員実務者研修を取る」という新しい目標として、私の心にすっと入ってきたのだ。
訓練校での日々は、職場とはまるで違った。
同じ介護を志す仲間たちがいて、みんなが前向きだった。
失敗しても「大丈夫!こうすればいいよ」と励ましてくれる。
「聞いたら嫌な顔をされる」なんてことは一度もなかった。
初めて、「学ぶことが楽しい」と思えた。
訓練校で紹介されたのは病院勤務だった。
新しい職場に移った私は、最初こそ緊張でいっぱいだったが、そこで働く職員たちは優しく接してくれた。
雰囲気は明るく、今までのように悪口やいじめに怯えることもなかった。
「こんな職場が本当にあるんだ」
心からそう思った。
もちろん、仕事は決して楽ではなかった。
病院特有の緊張感があり、利用者だけでなく医師や看護師との連携も必要だった。
でも、理不尽に怒鳴られたり、陰口を叩かれたりすることはなかった。
努力した分はちゃんと評価される。
それだけで、こんなにも仕事が続けやすいのかと驚いた。
私はようやく気づいた。
――あの時「辞める」という選択をして良かったんだ。
環境を変えることは「逃げ」じゃない。
むしろ、自分を守るために必要な「勇気」だったのだ。
第5章 介護福祉士への道 ― 3年の実務経験
病院で働き始めてからの私は、以前よりもずっと前向きだった。
決して楽ではない毎日だったが、周りのスタッフが支えてくれたおかげで「自分はここで頑張れる」と思えた。
そんな中で、次の目標が自然と見えてきた。
「実務経験を積んで、介護福祉士を目指そう」
介護の世界で働くと決めた以上、資格は自分の武器になる。
そして何より、あの頃の私は「ここで終わりたくない」という気持ちが強かった。
ただ職場にしがみつくだけではなく、自分を磨きたい。
そう思い、資格取得を目指して努力を重ねていった。
三年間の実務経験。
それはただの時間の積み重ねではなかった。
日々の現場で学んだ利用者との接し方、同僚とのチームワーク、そして失敗からの学び。
一つひとつが、確実に自分を強くしていった。
時には心が折れそうになることもあった。
夜勤で体が重く、朝方にウトウトしながらナースコールに走ったこと。
自分のミスで先輩に注意され、落ち込んで帰った夜もある。
それでも、「利用者さんの笑顔」や「ありがとう」の言葉が、次の日も現場に立つ力をくれた。
三年後、介護福祉士の試験に挑んだ。
テキストを開いても眠気に勝てず、机の上にはいつもペットボトルのコーラ。
炭酸のシュワッとした刺激で眠気を飛ばしながら、必死で暗記した日々だった。
模擬試験では散々な点数を取って、悔しくて机に突っ伏した夜もあった。
でも、心の奥ではずっと思っていた。
「これまで頑張ってきたんだから、大丈夫」
三年の実務経験を積み、迎えた介護福祉士国家試験。
不安で胸が押し潰されそうだったが、必死に勉強した成果が出て――結果は一発合格。
合格証書を手にした瞬間、涙があふれて止まらなかった。
「やっと…ここまで来た」
努力が報われた瞬間だった。
けれど、安堵の時間は長くは続かなかった。
職場には、私に執拗に付き纏う一人の職員がいた。48歳の女性。
仕事終わりも、休日も、スマホは絶え間なく鳴り続けた。
「今日は何してるの?」「返事してよ!」
最初は人懐っこい性格なのかと思い、笑って受け流していた。
しかし、それは次第にエスカレートしていった。
LINEだけではなく、家の前まで押しかけてきたり、わざと待ち伏せされたり。
一度、断り切れずに食事に行った時には、冗談めかしてこう言われた。
「ねぇ、楓くん、私のこと好きやろ?」
その時のにやりとした笑顔が忘れられない。冗談として笑い飛ばすには、あまりに重たすぎた。
恐怖を覚え、上司に相談した。けれど返ってきた答えは、予想外に冷たいものだった。
「あなたが大人になれば、仲良くなれるんじゃない?」
その瞬間、心の糸がぷつりと切れた。
二年半、我慢し続けてきた気持ちが爆発し、退職届を出した。
新しい職場に移ったとき、私はまた不安を抱えていました。
「今度こそ上手くやれるだろうか…」
人間関係に悩んで退職した過去が、胸の奥に重たく残っていたのです。
そんなある日、勤務を共にしていた年上の先輩が、ふと私を見て言いました。
「楓くんさ、ちょっと様子が気になるなあ…。一度、精神科を受けてみたら?」
その言葉は、驚きと同時に、不思議な安心感を与えてくれました。
これまでの職場では「お前が悪い」「大人になれ」と突き放されるばかりだったのに、初めて“心配してもらえた”気がしたからです。
診察を受けた結果は「ADHD」「HSP」。
「集中が続かないのも、人の気持ちに振り回されて疲れるのも、全部性格や甘えじゃなくて特性なんですよ」と医師に言われた瞬間、涙が溢れました。
今まで「自分はダメな人間なんだ」と思い込んでいた私にとって、それは救いの言葉だったのです。
診断をきっかけに、私は自分を責めることを少しずつやめました。
変わろうと必死にもがくのではなく、工夫して「できる方法」を探せばいいのだと気づけたからです。
メモ帳に予定を細かく書いたり、アラームを複数かけたり。小さな工夫の一つひとつが、少しずつ私を楽にしていきました。
エピソード① Aさん(男性)のセクハラ混じりのやり取り
ある日、私は利用者のAさんのところへ訪室しました。Aさんはとても陽気な性格で、冗談を言っては周囲を笑わせるような方でした。けれど、その冗談は時に私を困らせることもありました。
「楓くん、君、可愛い顔してるねぇ」
と、Aさんは私に突然そう声をかけてきました。私は思わず笑ってごまかしながら、
「いやいや、私、男ですよ〜」と返しました。
するとAさんはニヤリと笑い、
「線が細いから、女の子みたいに見えるんだよ。ほら、こうしてたら女の子にしか思えないな」
と言いながら、足を絡ませてきたのです。
その瞬間、衝撃すぎて、驚きよりも思わず笑ってしまいました。
もちろん、介護士としては線引きが大切だとわかっています。でも、Aさんなりに「自分に構ってほしい」という思いの表れなのだと気づきました。
その後もAさんは冗談を交えながら話しかけてきて、私もできる限りユーモアを返すようにしました。境界を守りつつ、相手の気持ちを受け止める――そのバランスが難しくもあり、大切だと学んだ出来事でした。
エピソード② Bさん(オムツ介助中の出来事)
介護士として働き始めて間もない頃、私はまだ18歳でした。右も左も分からず、ただ必死に毎日の業務をこなしていた時期です。ある日、Bさんのオムツ交換をしていた時のこと。
普段なら黙々と作業をするのですが、その日はなぜか涙がこぼれそうになっていました。利用者に見せてはいけないと分かっていても、心と体が追いつかず、必死に堪えていました。
すると、Bさんが私の表情の変化にすぐ気づいたのです。
「どうしたの?顔が曇ってるわよ」
その声にドキリとしました。ごまかそうと「大丈夫ですよ」と笑おうとしましたが、声が震えていました。Bさんはそんな私の様子を静かに見つめ、そっと手を伸ばしました。そして私の頭を優しく撫でながら、こう言ってくれたのです。
「貴方は頑張ってるよ。負けないでね」
その言葉に、もう限界でした。必死に堪えていた涙が溢れ、私は声をあげて泣いてしまいました。仕事中に泣くなんて、今思えば未熟そのものでした。でも当時の私には、その優しい言葉が心に深く響き、どうしようもなかったのです。
Bさんは何も言わず、私が落ち着くまで頭を撫で続けてくれました。利用者に支えられるなんて、想像もしていなかった出来事。けれどその瞬間から、「介護は一方的に支えるものじゃない。人と人が支え合うものなんだ」と強く感じるようになりました。
エピソード③ Cさん(葉桜と枯葉ばぁさん)
春の終わりがけ、施設の庭の桜並木をCさんと一緒に眺めていました。満開の時期は過ぎ、花びらはすっかり散り、青々とした葉桜へと姿を変えていました。
Cさんはふとため息をつきながら、その木を見上げて言いました。
「私はもう葉桜よ。花は散ってしまって、あとは枯葉になるだけの“枯葉ばぁさん”なの」
その言葉に、私は一瞬返す言葉を失いました。寂しそうな笑顔。自分の年齢を「枯葉」と重ね合わせてしまうCさんの心の内が、痛いほど伝わってきました。
でも、私は黙っていられませんでした。
「そんなことないですよ!葉桜はね、第2の人生なんです。緑もすごく綺麗で、花とは違った魅力があるんです。僕は葉桜、めちゃくちゃ好きですよ!」
そう伝えると、Cさんは目を丸くして私を見ました。そして、ゆっくりと口元に笑みを浮かべて言ったのです。
「……あら、そんなふうに言ってくれる人、初めてよ。嬉しいこと言うのねぇ」
その笑顔は、まるで再び花を咲かせたように明るく、柔らかいものでした。私は胸が熱くなり、「言葉一つで人の心は変わるんだ」と改めて実感しました。
桜の花は散っても、葉桜としての美しさがある。人も同じで、年齢を重ねても、その人らしい輝きが必ずある。Cさんと過ごしたあの日の会話は、今でも私の中で強く残っている大切な記憶です。
エピソード④ 仲の良かったお婆さん
施設で特に仲良くしていただいた方がいました。いつも冗談を言いながら笑って過ごす、とてもチャーミングなお婆さんでした。
ある日、年齢の話になった時、彼女はケラケラと笑いながら言いました。
「やだわね〜。もうすぐ100になっちゃうのよ」
その言い方があまりにも可愛らしくて、私も思わず笑ってしまいました。すると彼女は少し真面目な表情になり、私にこう尋ねてきました。
「私が死んだらね、泣かないで。笑って送ってくれる?」
私は戸惑いながらも、笑って答えました。
「泣くかも知れないですよー? でも…笑って見送れるように頑張ります」
それから半年ほど経った頃、彼女の病状は急変しました。あっという間に、旅立ちの時がやってきてしまったのです。
ご家族が集まる中、私は彼女と過ごした日々を思い出しながら、ご家族に伝えました。
「一緒に河川敷を散歩したこともありましたよね。昔の歌を一緒に歌ったり、他の職員さんの愚痴を笑いながら言ったり…本当に楽しい時間を過ごさせてもらいました」
ご家族は涙を浮かべながら微笑み、「そんなふうに一緒に過ごしていただけて幸せでした」と言ってくださいました。その時、私は涙をこらえて、笑顔で思い出を語ることができました。彼女との約束を守るために。
しかし、家に帰った後、ふと彼女の笑顔を思い出すと、どうしようもなく胸が締めつけられました。あの明るい声も、ユーモアあふれる会話も、もう聞けないんだと思うと、押さえていた涙があふれ出して止まりませんでした。
でも、不思議とその涙は悲しみだけではありませんでした。彼女に出会えたこと、たくさん笑わせてもらったこと、最後に「笑ってね」と言われたこと。そのすべてが宝物になっていたからです。
楓の心に残ったもの
この経験を通じて私は、「介護はただのお世話ではなく、その人の人生に触れる仕事なんだ」と強く感じました。
別れはつらいけれど、それ以上に「出会えたことの喜び」が心を温め続けてくれる。介護の現場は大変なことも多いけれど、こうした一瞬一瞬が、私を支えてくれる力になっているのです。
おわりに
これまでの道のりを振り返ると、泣いた日も、笑った日も、逃げ出したいと思った日も、すべてが今につながっています。
介護の現場は時に厳しく、つらいこともあります。しかし、その中で出会う利用者さんの優しさや笑顔、仲間との関わりが、私を支えてくれました。
昔の自分へ伝えたいことはひとつ。「限界が来たら我慢ではなく、『降伏』を選んでほしい」ということ。立ち止まることは負けではなく、新しい一歩の準備です。
この本を手に取ってくれたあなたにも、少しでも励ましや共感を届けられたら幸いです。
- 介護はつらいだけではありません。時には心が震えるほどの優しさに出会える仕事です。その瞬間があるから、今日も私たちは前を向いて歩き続けられるのです。
著者プロフィール
櫻井 楓
1995年12月7日生まれ
趣味:一人カラオケ・ドライブ
母親の一言をきっかけに介護職の道へ進み、困難や挫折を繰り返しながらも介護福祉士を取得。
現在も現場で働きながら、同じように悩む人の力になりたいと執筆を続けている。